チャンスは努力で手に入るものではない。
派遣労働者に対する意見がさまざまなところで語られている。
そもそも正社員にならなかったのが悪いとか、
努力を怠ってきたのではないかとか、労働者への批判がある。
一方で、いつでも切れる労働者を雇いたかった企業側への
批判もある。
しかし、そんなことを言っていて何になるのだろう。
時代の流れで、正社員でなくても構わない仕事を派遣という
いつまでも面倒をみなくて済む労働者に委ねたかった企業。
派遣という、さまざまな職場で異なることを体験したかった
労働者。あるいは、不運にも派遣社員にしかなれなかった
労働者。
その仲介役で手数料をきちんと取り、営利目的で出てきた
派遣会社。
それらがうまく軌道に乗っていた時には何の問題もなかった。
そして、需要にこたえて派遣労働の幅を広げたのは国だ。
それならば、不景気になって失業者が増えた時の
セーフティネットを用意しておくのは、国の当然の義務だ。
用意していないにしても、浅草で行われていたNGOによる
炊き出しを、苦情がきたからといって中止させる権利など
誰が持っているのか?
日本国憲法の第25条に「すべて国民は、健康で文化的な
最低限度の生活を営む権利を有する。」とあるし、
憲法の改正はされていない。
近隣の住民や児童館から苦情がきたそうだが、
住民はいやなら引っ越すしかないだろう。
児童館は何をいやがっているのか知らないが、
危険な目にあったならともかく、子どもによくない
なんて考え方は畑違いだ。
ところで、私が一番強調したいのは、「努力してこなかったのが悪い」
という考え方はあまりにも的外れだということだ。
すべての人は、生まれ育った家の経済状態も、環境も、生活も異なる。
恵まれて育った人とそうでない人を同じ土俵にのせて考えるのは
おかしい。
だいたいのところ、努力したらチャンスが巡ってくるという考えが
違うと思う。
「努力すれば、学歴が高くて、いい会社に入れて、ある程度資格も
持っていて、リストラなんてされるわけがない。チャンスだって
いっぱいあるだろう。」
というように思っている方が多すぎるのではないだろうか?
でも、努力して学歴が高くて資格もあっても、運がよくなければ
チャンスなんてそうそう転がっているものではないと思う。
現に、私は死ぬほど努力したし、資格職だったし、
いわゆる安定職と言われる公務員だったが、
新卒と就職30年以上たっている人を同様に扱うという
公務員にありがちな「変な公平主義」のおかげで
周りの人たちに仕事をおしつけられた。
経験以上の仕事を任され、その責任の所在も明らかではなく、
疲れ果ててしまった。そのせいで病気になった。
今現在も闘病中で無職だ。
でも、努力してきた中でチャンスなんて転がっていなかった。
あるのは、定年間際や中堅の人たちの保身を守らされる
ということだけだった。
今でも、私は現役で働いている人たちの保身のために嘘をつかれ、
きちんとフォローしていたと言われ、診断書に抑うつ状態とあるから
うつ病ではないと屁理屈を言われ、侮辱され、傷つくばかりの毎日だ。
チャンスなんて言葉はそれをつかんだ人のみが言うのだろう。
小室哲也(容疑者)が「自分は昔、歌詞で安易にチャンスという
言葉を使いすぎた」と言っていたようだが、
それは、本当にそうなのだろうと思う。
挫折しなければ見えない世界があるのだと、私は思う。
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